目指しているのは、上達ですか。それとも記録ですか。 — 韓国語を学び続けても聞き取れないとき
韓国語の学習アプリを、何ヶ月も毎日続けている。連続記録(ストリーク)も伸びて、ストーリーもだいぶ読めるようになった。なのに、字幕なしで韓国ドラマを観ると、ほとんど聞き取れない。
中級にさしかかると、多くの人がこの「読めるのに聞き取れない」壁にぶつかります。私自身、長くそこにいました。今日はその壁そのものではなく、もう一歩引いた話をします。私たちが毎日アプリで積み上げている「続けた記録」は、本当に「聞き取れる力」につながっているのか、という話です。
きっかけは、Duolingo が「失った連続記録を取り戻せる」キャンペーンを始めた、というニュースでした。それを見て、前から感じていた小さな引っかかりが、はっきりした形になりました。
はじめに — これは Duolingo を責める話ではありません
最初に書いておきます。私も Duolingo を使ってきましたし、習慣化という語学でいちばん難しいところを、ゲームのように楽しく解いてみせた。これは本物の発明だと思っています。毎日アプリを開き続けてきたあなたの連続記録も、まぎれもなく規律の証です。そこを否定するつもりはありません。
気になっているのは、もっと構造的なところです。アプリが日々たたえてくれるのは「何日続けたか」という数字で、「どれだけ聞き取れるようになったか」ではない、という点です。
「続けた日数」と「聞き取れる力」は、中級ですれ違う
続けた日数(活動量)と、本当に伸びた力(能力)。このふたつは、初級のうちはほぼ重なっています。毎日触れること自体が、そのまま力に直結する時期だからです。ところが中級に進むと、両者は静かにすれ違いはじめます。

分かりやすい例があります。多くのアプリで、1日でも休むと連続記録はゼロに戻ります。でも、語学の記憶は1日空けたくらいで消えるものではありません。350日続けた人が1日休んだからといって、その実力がゼロに戻るわけがない。それでも記録だけはゼロになる。学習者の側に立つなら、離れた日数の大小に応じて減衰幅を連動させることもできるはずです。記憶の薄れ方に寄り添った設計にすることは、技術的に難しい話ではありません。それでも、一気にゼロへ戻す道が選ばれている。この「崖」は、学習の現実を映したものというより、途切れる痛みをいちばん大きくする作りだと、私には見えます。
報酬が「続けた日数」に結びついていると、人はいつのまにか、理解よりも記録を守ることを優先しはじめます。中身が頭に入っていなくても、いちばん短いレッスンを惰性で片づけて、その日のぶんを埋める。行動科学の分野でも、ゲームの仕組みが行きすぎると、学ぶこと自体より得点や連続記録を伸ばすことのほうが目的にすり替わる、と指摘されています。念のため言えば、これはどの学習サービスにも忍び寄る誘惑で、私が作っている OtoOi も、油断すれば同じ罠にはまります。
これは一社の話ではなく、分野ぜんたいの構造
この「活動量を祝ってしまう」傾向は、語学学習という分野ぜんたいが抱えやすい構造だと思っています。
市場は年々大きくなり、アプリの利用者も増え続けています。それでも、「アプリだけで字幕なしのドラマが分かるようになった」という声は、思ったほどは聞こえてきません。研究を見ても、よくできたアプリで着実に伸びるのは初級の範囲で、流暢と呼べる手前で多くの人が頭打ちになる、という傾向が報告されています(独立した研究はまだ少なく、私もここは断定せず追いかけている途中です)。市場の伸びと、到達する力の伸びが、どうもかみ合っていない。
だから、あなたのせいではない
もしあなたが、何百日も続けてきたのに聞き取れるようにならないとしても、それはあなたの努力が足りなかったからではありません。間違っていたのは、あなたではなく、たたえられていた指標のほうです。続けたことには、ちゃんと意味があった。ただ、その「続けた量」が、そのまま「聞き取れる力」に変わる設計には、なっていなかった。それだけのことです。
OtoOi が真ん中に置きたいもの
私が OtoOi で大事にしたいのは、活動量ではなく「本当に分かるようになったか」を真ん中に置くことです。目指すゴールは一貫して、ネイティブの速さで分かること。だから連続記録のような数字でつなぎとめるより、聞き取れる力が実際に伸びたかを、自分でも見られるようにしたい。1日休んだだけで全部が崩れるような崖を、わざわざ作るつもりもありません。
さらに踏み込んで言えば、これはまだ理想で、約束はできませんが、いつかは「上達したかどうか」のほうに、自分たちの収益を結びつけられないかと考えています。続けた時間にではなく、本当に分かるようになったことにこそ、お金をいただけるように。どう公平に測るのか、解けていない問いだらけなので、今はその意志を表明するだけにとどめます。それでも、向かいたい方向はここだ、とだけ書いておきます。
それでも、習慣はやっぱり宝です
だからといって、いま使っているアプリをやめる必要はありません。連続記録は、続けたいなら続けてください。毎日机に向かう習慣そのものは、やっぱり何より大きな財産です。OtoOi は、その習慣が土台になったうえで「続けているのに、聞き取りだけが伸びない」と感じはじめたときの、次の場所になれたらと考えています(OtoOi がやろうとしている「ステレオ・リスニング」の中身はこちらの記事に、中級の壁そのものの解剖は中級の壁の記事に書きました)。
目指しているのは、上達ですか。それとも記録ですか。この問いを、作り手である自分自身にも忘れないようにします。
OtoOi はまだ作っている最中です。最初の公開は、このブログと X でお知らせします。