ブログでもアプリでもなく、動画だった ― 韓国語の動画を作って、YouTube を始めた話
先日、韓国語の短い動画を作って、YouTube にチャンネルを開きました。これは、なぜ最初の一歩に動画を選んだのか、その理由の記録です。
OtoOi は「ステレオ・リスニング」という方法を Build in Public で作っています。日本語と韓国語を、少し時間差をつけて重ねて聞く。語順がそろっているから、意味の流れに音がぴたりと並んで進む(この考え方はこちらの記事に書きました)。文字にすると、こうなります。けれど、この感覚そのものは、言葉だけではなかなか伝わりません。
文字の説明では、体験できない
サイトのトップには「右耳に韓国語、左耳に日本語」と書いています。言葉としては、たぶん伝わります。しかし、この「意味と音が重なって、知らないはずの文が分かってしまう」感覚そのものは、文章では伝えられません。これは読むものではなく、一度聴いてみるものだからです。
ここまで、OtoOi が人に出会う入口は2つでした。ひとつはブログ。考え方を、言葉でていねいに説明する場所です。もうひとつはアプリ。実際に仕組みを体験できる場所です。
ただ、このふたつには、それぞれ別の限界がありました。ブログは、どれだけ言葉を尽くしても説明で止まります。「重なって分かる」と書いても、その感覚は伝えられない。一方アプリは、体験できるけれど、登録やインストールという高い段差がある。名前も知らないサービスのために、その段差を越えてくれる人は、まだほとんどいません。
説明は届くのに、体験まで連れていけない。体験はできるのに、そこまで来てもらえない。そのあいだに、ぽっかり空いた真ん中がありました。
動画は、その“真ん中”だった
動画は、ちょうどその真ん中を埋めてくれると考えています。スクロールしている指の途中で、登録もインストールもなしに、あの「重なって分かる」を一度だけ体験してもらえる。日本語が先に流れて、少し遅れて韓国語が重なる。イヤホンで音を出すと、語順がそろっているおかげで、知らないはずの韓国語の文が、意味のまま追えてしまう。その小さな驚きを、ほんの十数秒で渡せる面は、動画しかありませんでした。
大事なのは、画面はあくまできっかけで、本番は音のほうだということです。文字で意味を見せるだけなら、ただの対訳字幕になってしまう。語順がそろった2つの言語が、耳のなかで重なって、それでも追える。その体験は、目ではなく耳にしかありません。だから動画には「イヤホンで、音を出して」と添えています。
題材は、「약속(約束)」という短い物語を3話。初級のあいさつを並べるのではなく、中級の人でも一度では聞き取りきれないくらいの、感情のある会話にしました。少し難しい韓国語が、日本語の助けと語順の一致で「分かる」に変わる。その落差こそが、いちばんの見どころだからです。
これから
これから、YouTube で動画を増やして、もっと育てていきたいと思っています。いまはバラバラの単発ですが、いずれは、順番に観ていくと、少しずつネイティブの速さで分かるようになる。そんな並びにしていきたい。動画なら、登録もなしに、まず一度あの感覚を試してもらえる。そこで「もっとやりたい」と思った人が、アプリへ進む。そういう道筋を考えています。
ただ、これも完成した計画ではなく、作りながら確かめている途中です。動画が本当に入口になるのか、観た人が次の一歩を踏み出してくれるのか。分かったことも、思ったほどでなかったことも、これからここに正直に書いていきます。
「読めるのに、聞き取れない」。同じ壁の前にいる方は、よかったら一度、動画で確かめてみてください。説明でもなく、登録でもなく、ただ十数秒、耳で。
OtoOi はまだ作っている最中です。最初の公開は、このブログと X でお知らせします。